今晩は☆
今日も良い休日をお過ごしでしょうか・・?
さて、昨日の尾形光琳の続きです★
現代の置き換えてみると、女癖に借金、定職にもついていない中年・・・となると
社会的にも不安定で心が病みそうですが、
その中で光琳は、国宝の燕子花図を描きました。
凄いですね!!
江戸時代は、寛容さがあったのでしょうか・・?
しかしながら、絵師としての成功も束の間、生来の派手好みは変わらず、
借金漬けの日々から抜け出せませんでした。
光琳は、公家や大名、役人など、多くのパトロンを持っていました。
その役人の一人に、中村内蔵助という人がいました。
そして京の経済が陰り始めたころ、光琳はその後、江戸に出仕した中村内蔵助を
頼りに江戸に東下りしました。そこで、姫路藩の酒井家と接点ができ、酒井家からも援助を
受けていたそうです☆★
(ようやく、尾形光琳と酒井抱一との間接的接点が見えてきました!!!)
酒井抱一はその100年後、おそらく江戸の酒井家に残されていた光琳の絵との出逢いから
窮地にいた人生から一転させていきます!!!
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余談ですが、三井家や住友家も光琳のパトロンとなっていたようですが、
実はかつての私の職場と関連が深いことが、いま発覚✨✨✨
私の先祖佐々木氏との接点が見つかってきました★★★
(https://www.mitsuipr.com/history/edo/01/)
こんな風に身の回りを見渡すと、時に遠い先祖からの
導きのようなものを感じる時があって、『いま生かされている自分に
出来ることは何だろう?』とはっと思う時があります。
〜つづく〜
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