〜酒井抱一 秋草〜 おさらい編③☆

更新日:8月6日

こんにちは☆

いよいよ7月も終わりに近づいてきました。

夏生まれの私にとって、毎年夏は、思い入れ深いものになります☆

去年は仕事でやりたいことが出来、今年はワークショップという形で夢が叶いました!!

年々、一歩一歩を大切にしていきたいと思います😊

さて、今日は酒井抱一が惚れに惚れた、心の師、尾形光琳について

書いておきたいと思います。

最愛の兄を亡くし、松平定信の寛政異学の禁等の統制で、美人画も書きづらくなり、公私共々居場所を無くしていた30代半ばの抱一。

そこに新たな道へ導かれるような出逢いがありました。

酒井家に残されていた尾形光琳の絵です★

では、尾形光琳とは、どのような人だったのでしょうか・・?

以前、気になったので調べてみましたので書きます↓↓↓

尾形光琳は、酒井抱一が生まれる100年位前に、京都の呉服商の家に生まれました。

とても繁盛していた呉服屋だったそうで、一時期は東福門院和子様(後水尾天皇の正室/徳川家康の孫)の御用達をしていたことで有名です。

尾形光琳は、小さい頃から、能や書、絵を嗜み、当時からずば抜けた才能があって、周囲を驚かせたそうです。

でも、成年になっても、絵師として本職にすることはなく、のらりくらり公家のサロンで舞を舞ったり、女性遍歴を繰り返す日々を送っていたそうです。

父がなくなり、膨大な遺産を相続しましたが、浪費癖があって、使い果たし、多くの借金を抱えるようになります。

(大丈夫でしょうか・・人間味がありますね・・・・笑)

弟の乾山に戒められたこともあり、40歳でようやく絵師として

立つことを決心したそうです☆

(遅いですね・・・またまた人間味がありますね・・・笑)

その頃描いた絵が、こちら国宝の燕子花図屏風です★





                                 ~つづく~

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