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〜酒井抱一 秋草〜 吉原編⑥★

おはようございます🌻

今日も暑いですね!!

私は一昨日から妹と姪っ子ちゃんと浜松に来ています★

保育園探しと温泉を堪能しています😊


さて、今日は、吉原の華、【花魁道中】についてについて書きたいと思います♪


ワックワク〜♪


*************************************


元吉原(人形町にあった元祖 吉原の別称。人形町の吉原は、新たに出来た浅草の新吉原に対し、『元吉原』と呼ばれるようになりました)では、高級遊女は「揚屋(あげや)」というお店に出向いて客を接待していました。


(ほ〜〜出向いていたのですね!!)


吉原で遊ぶ客は揚屋に落ち着き、そこに花魁を招いていました。


(ドキドキ・・♪)


呼ばれた花魁は、美しい衣装を身にまとい、遊女屋の雇う人など、

多くの供を従えて、華やかに揚屋までの道のりを行進しました。


これが、【花魁道中】の始まりです☆


花魁は才色兼備で、花魁遊びの格式は高かったそうです。


(さすが江戸っ子!粋な遊び〜🌈✨)


揚屋に上がった客は、まず、そこで酒宴を開いて揚屋の奉公人たちに

適当な額の祝儀を配ります。


祝儀が少ないと野暮とされ、多くても野暮とみなされたようです★


(大人社会あるあるですねッ)


そして、馴染みの遊女と一緒に飲むには、

揚屋の主人にお願いし、主人は、遊女に手紙を送ります

(手紙と言っても「差紙(さしがみ)」と呼ばれる、仕事上の形式的な手紙です)。


すると 若い衆(わかいし)が揚屋と遊女屋の間を何度も往復して

花魁の都合を伺い調整したのち、


華やかに着飾った遊女が、

紋の入った煙草盆など道具一式をもって、

奉公人や下級遊女等を引き連れ 行列をなしてやってきたのです。

(おお〜〜カッコいい!)


花魁道中というと派手なイメージがありますが、

当初は派手なものではなかったそうで、履物も、当時は高くはなく、質素な草履を履いていたそうです。

(そうなんだ・・)


江戸中期〜後期、吉原が大衆化していくと 揚屋が廃れていき、吉原道中はパレードとしての意味合いが濃くなっていきました★☆


                 〜つづく〜

(参考 『江戸の色町 遊女と吉原の歴史』)

******************************



       (歌川広重 「江都名所 吉原桜之図」 太田記念美術館蔵)

       (参考 https://otakinen-museum.note.jp/n/na7dcdc295884)

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