おはようございます☆
お盆休み期間になりました。
久しぶりに帰省されている方も多いんじゃないかな!?
明日は3年ぶりの熊谷花火大会に行く予定ですが、
朝のニュースで台風が接近するかもしれないと知り、
気が気でない・・・そわそわ・・な朝です(^_^;)
さて、今日も吉原について書きたいと思います☆
『遊女習いの禿と新造』の巻です🍀
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10歳未満で遊女屋に売られてきた女の子は、「禿(かむろ)」と
呼ばれました。
頭髪を剃っていたため、そう呼ばれるようになったそうです☆
(時代とともに結うようになってからも、「禿」と呼ばれていたそうです)
殆どが、貧しい農家の子が多かったようで 食べることもままならない暮らしから、
一人きりで別世界の吉原に連れてこられ、親や兄弟とも離れ離れにさせられました。
(なんて淋しい・・・過酷な一面の江戸時代)
禿は、台所など遊女屋内の雑用をこなしながら、
のちに遊女になるため、礼儀作法など教え込まれました。
のちに高級遊女のお付きとなって、
遊女の食事の給仕や煙草の吸付(キセルに煙草を詰め 自分で少し吸付し、火をつけ人に渡す)などをしながら,遊女としての教育を受けました。
(おお!今もキャバクラのシーンにもある、このシーンは昔からの伝統だったんだ!?)
衣装代や食事代は、お付きの遊女が支払ってくれました。
(束の間の母の温もり・・?)
禿は、花魁道中や宴席にも顔を出しましたが、お酌をすることはないし
お客さんも持っていなかったそうです★
(そうですよね・・)
一方で、禿の中でも、将来性の見込める女の子を「引っ込み禿」といい、
他の禿がしていた高級遊女のお付きの仕事はせず、楼主のもとで英才教育を受けました。
(当時の女の子で英才教育!!^^)
13〜16歳になった禿は、次に「新造(しんぞう)」と呼ばれる
階級に上がります。
新造になるには、儀式のようなものがあり、
新造になる10日ほど前に、お付きの遊女のお金で、そば切りなどを振る舞ったり、着物反物を新調したりしました。
また高級遊女の常連客からは、お歯黒をもらいました。
新造になる当日は、顔見世しながら
各所に挨拶まわりをしました。
(賑やかそうで良いね〜今の歌舞伎座に似ている風習♪)
〜つづく〜
(参考 『江戸の色町 遊女と吉原の歴史』)
(参考https://ameblo.jp/kikugidou21/entry-12552999373.html)
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(歌川広重『観桜酒宴図』太田記念美術館蔵)
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