今日は!!!
久しぶりになりました✨
最近はめちゃくちゃ暑いですね・・・毎日が縁日気分です><
皆様はいかがお過ごしでしょうか?
さて、昨日6月24日は、川越城の家老詰所の人形の一人、下川又左衛門の掛け軸を床の間に掛け、竹をお供えしました✨
川越城の松平大和守家に仕えた下川家は、代々下川又左衛門を名乗り、家老詰所にいるのは、下川又左衛門元貞という名前です☆
先日、七夕の際に笹を使った時、次の機会には、下川又左衛門の掛け軸を掛けたいと思っていました★★
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下川又左衛門の先祖は、元々は豊臣秀吉に馬廻として仕えていて、その後加藤清正の家臣となり、なんと5000石、次の代には1万石の家老になりました★
(かなりBIG待遇ですね✨✨さぞかし心踊ったことでしょう♫)
全く知られていないけれど、下川又左衛門は、秀吉の朝鮮出兵に際し、清正の将として活躍し、その名を知られるようになって行きました!!!
(その歯がゆさが、応援したくります✨笑)
しかしながら、1632年の加藤家除封により、下川家も浪人の身となります…
その後1649年以降、越後村上城にいた松平大和守2代松平直矩のとき、召し抱えられ、以後、松平大和守の主要家臣として仕えるようになりました。
松平大和守家では、下川家から年寄、老中格を5名輩出しています★
今から約3、4ヶ月位前、当資料館を立ち上げるにあたり、整理をしていたら、奇遇にも加藤清正が書いた下川又左衛門宛の手紙を丁重に貼り付けた掛け軸が出て来ました✨
その手紙の中身はよく分かっていないけれど、「加藤清正が、下川又左衛門に竹を求めている」内容のようでした★
(熊本城建設か何かでしょうか…ぞくぞくします✨明らかになったら、また書きます)
そのことを覚えていて、前回、笹を取った時、竹も使いたいな・・・と思い、今回は、川へ竹を切りに行き、2階の床の間に下川又左衛門の掛け軸とともにお供えしました✨
奇しくも、竹を取りに行った昨日【6月24日】は、加藤清正のお誕生日。
亡くなった日でもありました。
加藤清正といえば、戦国時代の武将で、豊臣秀吉の親戚ということがきっかけで、
秀吉に仕え、生涯豊臣家のために尽くしました。
信長の後継者争いと言われている賤ヶ岳の戦いでは、七本槍の一人と言われ、秀吉方として奮戦。朝鮮出兵でも名を馳せる戦を見せつけました。
関ヶ原の戦いでは、石田三成憎し!!!で、東軍になるも、豊臣秀頼を最後まで守ろうとし
徳川家康に警戒され、二条城で毒殺?されたとも言われている、豊臣に義を尽くした名将です✨
江戸時代になり、別の大名の下で働く事になっても 加藤清正への恩を忘れず、多い引っ越しにも耐え、代々大切してきた下川又左衛門の掛け軸。
その心は何でしょうか。
皆様、一緒に考えましょう〜〜〜♫
(引用 「結城松平家と家臣団」稲葉朝成著)
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では、また今度です(*´∀`*)

(谷崎潤一郎の陰影風に撮影しました★床の間は、少し暗い方が神々しい・・・とか)

(七夕で使った五色のそうめん。本当は色ごとに茹でるのですが、暑すぎて雑に(*_*)笑
ごまだれは、食欲失せる日も人を救ってくれます☆彡感謝)

(竹には上下の節があり、どんなに親しくてもそれぞれの立場や考え方があり、社会の調和を保つために、礼儀や節度を守らないといけないということを教えてくれています)


(引用 Wikipedia)
そうですね。旧暦7/7は、今の8月中旬頃なので、今の7/7に雨が多い事とは関係ないかもですね…☔️
高島家または松平大和守家に伝わる七夕の飾りはどのようなものがあったのでしょうか?