今日は!
今日もいい天気で、真夏のような暑さですね✨✨
(あ…暑い)
お庭では、毎年7月に咲き始めていた百合は、すでに見頃を迎え、秋の花コスモスも
なぜか咲いています(^_^;)
(温暖化大丈夫かな…)
さて、久しぶりに今日は川越藩の姫様、慈貞院(じていいん)の手紙について
掲載したいと思います☆
慈貞院は、文久2(1862)年に夫:松平直侯(なおよし/川越藩主)を亡くし、その翌年、文久3(1863)年に川越に下国されました。
その頃のお手紙になります☆
約2年、川越での生活をされたようで、父:鍋島直正公(10代佐賀藩主/幕末屈指の名君閑叟)から、夫を亡くし、不慣れな川越で生活を始めた慈貞院を励ます手紙が遺されていました✨✨
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この度は急に川越へ行かれるようになったとのこと、さぞ大混雑のことと思います。
この度はどこもお国元に引っ越すこととなり、江戸も大騒ぎのようですね。
川越の住居の様子も一覧しましたが、住居もかなり出来ているようで、まずは安心いたしました。
そのうち参府(参勤交代で大名が江戸に参ること)もするでしょうから、その時には
川越へ参りましょう。
伊香保の入浴などに出かければ、一両日(1日または2日の間)は逗留も出来るのではないかと楽しみにしています。
(中略)
この氷砂糖は珍しくもありませんが、お送りします。また、申し上げますが、遠眼鏡の事は承知しました。すぐに差し上げましょう。
他に何か欲しい物があったら遠慮なく言って下さい。
(以上)
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補足ですが、慈貞院の婚礼にあたり、父 鍋島直正公は「20万石以下の大名には貢姫(慈貞院)を遣わさない」という考えであったそうだが、
「ただし徳川御家門なら格別」との旨を伝えられ、水戸藩の藤田東湖は徳川斉昭から「宜しかるべし」との言葉をもらい、無事、縁談が進んだようです☆
その他、鳥取藩池田家や島津斉彬が仲介した松山藩松平家との縁談も本気で進められていたそうですが、結局「貧乏」と遠慮されていた川越で収まったそうです✨✨
健康でもお金でもない…縁とは不思議なものですね・・・
今週も素晴らしく楽しい一週間になりますように(*´ω`*)✨
(1ヶ月も早い百合の開花宣言!!!笑 コスモスはもうノーコメント(^_^;))
(白菖蒲の美しさ!!!旧暦5月5日は、今頃のようです)
(今回のお手紙の原本です)
(引用 「愛娘への手紙」 公益財団法人 鍋島報效会)
(川越藩 藩主松平家10代直侯(なおよし)の正室貢姫(慈貞院)32歳/明治3年の写真鍋島報效会所蔵)
(佐賀藩10代藩主 鍋島直正公✨再掲させて頂きます✨)
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