松平大和守 編①★

今日は。

今日は、台風ですね!!雨も強くなってきた☆

事故に風邪に気をつけましょう・・!


ところでなのですが、


このところ私が個人的に思うのは、今、江戸文化を語る前に、今の政治や経済のことも

少し話せるようになりたいな〜ということです!

そうすれば、非日常の文化についても、より多くの人とお互いに共感し合えるんじゃないかなぁと・・・。


なので、最近は、新聞を読んだりしています★

私の中のHOTな話題は、コロナ給付金の膨大な事務費問題、コロナ禍のひとり親世帯の貧困化、行政のデジタル化、安倍元首相の国葬・・などです☆


特に安倍元首相の国葬には驚きました。

銃撃死にも驚きましたが、今どき、しかもこのコロナ禍で国葬とは。。


私の知らない、英雄並みの行動をされていたのでしょうか・・?


思うのだけど、民主主義でありながら、本当の情報は、当事者やその世界に生きる

ほんの一握りの人にしか届かないのは、淋しいな。


情報を流さない理由もあると思うけど、良い情報なら、もう少し一般の私達にも教えて欲しいな〜。


さて、本題です☆☆

最近は吉原シリーズが続いたので、気分転換に今回は、松平大和守編を書くことにします☆


【松平大和守 初代 松平直基(なおもと)】についてです★


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1607年11月28日のことです。

結城晴朝(ゆうきはるとも)の願いにより松平秀康(徳川家康の次男)の5男 直基(なおもと)に結城家の祭祀を継がせることを許されました。

(松平大和守家は、関東八家の名門 結城家を継承しています)


この時、直基はわずか4歳だったそうです。


その後、直基は結城晴朝の手元で育てられます。


1611年4月 直基8歳の時、京都二条城にて、母の品量院と共に

徳川家康に初めて謁見したそうです。

そしてその時、家康から2人へ拝領物もあり、懇意に話し合われたそうです。

(あのカッコいい京都の二条城でとは!!絵になりそう・・)


そこで少し本当なの!!?と疑ってしまった話だけれど、

こんな噂もあります。


家康は直基の他の兄弟には一度も謁したことがなく、品量院のみが特別の扱いだったようです。


その理由を、「実は直基は秀康の子ではなく、家康の実の子である」と言われているのです。


つまり、妊娠していた品量院を家康が秀康に下渡したものだという噂なのです★

   (え〜〜それで良いのか秀康!?)


今更、事実はわからないけれど、年齢的に有り得ない話でもなく、

当時は公然の秘密として語られていたらしいです!!

   (ひえ〜〜〜〜ッ)


      (参考『結城松平家と家臣団』 稲葉朝成著 )

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                  〜つづく〜

              (松平直基像 孝顕寺蔵)



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