① 人物編
なんだか私が徳川幕府について、ブログで語る日が来るとは
夢にも思っていませんでしたが・・・
当日、より楽しんでいただくために、書いておきたいと思います。
不思議と、書けば書くほど、江戸が身近に感じてきます!
読んでくださる方は、どのように感じていただけるでしょうか・・?
さて、本題に入ります!!
軸の作者、沈南蘋(シンナンピン)が来日した時、日本はどのような時代だったのでしょうか??
江戸中期、1730年頃の話で、時の将軍は、江戸幕府第8代 徳川 吉宗(とくがわ よしむね)です。
彼の人物や政治を簡単にご紹介します。
ではまず、人物から書きます。
財政に直結する米相場を中心に改革を続行していたことから米将軍(八十八将軍)と呼ばれ、また、同じく財政破綻寸前だった江戸幕府を復興させたことから中興の祖とも呼ばれています。
吉宗がこの時、財政改革をしていたからこそ、ペリー来航時、植民地化されなかったのだと今も称えている人もいます。
「稀代の名君」と言われる所以ですね。
では、吉宗はどのようにして将軍になったのでしょうか。
反 新井白石の幕臣たちの支持を得て、8代将軍に就任しました。
就任の際には、紀州の領民からは、「殿がいなくなる」とがっかりされたエピソードが
残るくらい、素敵な方だったようです。
また、四男だったにも関わらず、父や兄が次々と病死し、見事8代将軍になれた不思議と強運な人物です。
しかも その後、吉宗の血統が14代まで代々将軍を務めていきました。
そう、大河ドラマ『篤姫』のファンなら分かる気持ちかもしれませんが、
篤姫の夫13代家定も、皇女和宮の夫14代家茂も、吉宗の子孫です。
凄いことですよね!!
知れば知るほど、江戸幕府と縁が深い方で、ぞくっとしますね。
部下に懐深く、部下の紀州の家計簿の記入ミスを庇ったり、
酒に酔ってふすまを刀で破いた部下に優しく教え諭したりしたエピソードが残っています。
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