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🌸祝WBC優勝 〜野球の神様ver〜🌸

更新日:2023年3月26日

今日は✨

今日は曇り空☁


なんだか、私の生きている世界が急にグルグル回り始め、

実は数日間、寝不足になっています(*_*)

皆様はいかがお過ごしでしょうか・・?


さて、昨日はヌートバー選手を応援熱心な東松山市役所〜まるひろ通り商店街について

簡単に書かせて頂きました✨

今日は同じくヌートバー選手の応援にと 何回かテレビに出ていた野球の神様『箭弓稲荷(やきゅういなり)神社』について、旧川越藩幕臣の立場で書いておきたいと思います✨


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箭弓稲荷神社は、東松山駅の西口を降りて、約200メートル歩いたところにあります✨


歴史としては、和銅5(712)年と古く、野久ヶ原と呼ばれていたこの場所は、当時は里人の稲荷信仰の場所とされていました★


平安時代には、源頼信(源頼朝のご先祖様)が平忠常追討の倫旨を賜り、野久ヶ原に本陣を張って 一夜中祈願していると、翌朝、白い雲が敵陣の方へ、箭のように勢いよくかかったので、源頼信は「神明の現れだ」と判断し、敵陣に攻め寄ると、3日で見事に退治出来たそうです★


そのことから、喜んだ源頼信は、箭弓稲荷大明神奉り、社殿を再建し、「箭弓稲荷神社」と名を変えたようです。

(今回のWBC優勝は、箭弓稲荷大明神のお陰でしょうか‥♡)

(やきゅうという音から、近年 野球の神様と言われるようになりました)


江戸時代になると、東松山は川越藩領となり、川越藩の松平大和守家は代々、箭弓稲荷神社を崇拝し、分霊を川越城や明治時代以降は、松平家 新大久保の邸宅でも奉斎していました✨

(現在も前橋の殿様のご子孫の方が、毎年東松山まで来て祈願されていると聴いています…)


特に8代松平斉典公(川越城主)の信仰は篤く、今も本殿にある献額「箭弓祠」の字は斉典公が書いたものです!!!


因みに1811年には幣殿(広い所)を、1835年には拝殿を…いずれも川越藩領主松平大和守家 及び その信徒たちによって建造されたもののようです✨



(引用 「前橋藩松山陣屋」 松山陣屋研究会著)

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(↑↑箭弓稲荷神社です)

(箭弓稲荷神社 https://www.yakyu-inari.jp

(↑拝殿です。本殿はこの奥ですが、一般人は入れません)

(右の大きな絵馬は、毎年松山女子高校の書道部の方が奉納されています。松山女子高校は、ヌートバー選手の母の母校のようですね✨母校の場所は、ここから半径数十メートルの場所にあります!)

(その松山女子高校には、松山陣屋の大きな模型があるそうです)


(↑ここが噂のバット絵馬✨)


(これが…キャラクターのやっくん と きゅうちゃん…なんだかスミマセン)



(↑8代斉典公の献額「箭弓祠」の下書きです)

(引用「松平大和守家の研究出版祝賀会」での配布冊子)



(↑箭弓神社の社報には、今もやっぱりあの葵紋が押されています✨)

閲覧数:49回1件のコメント

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1 Comment


hikiyama311
hikiyama311
Mar 24, 2023

きっとヌートバー選手のお母様もお参りされたことがあるのでしょうね。

やきゅうという音韻から昔から野球の関係者の参拝が多かったのだとか。あのノムさんもお見えになられたそうですね!バットの絵馬興味があります!

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