
松山陣屋とは
前橋藩松山陣屋とは幕末の川越藩主(松平大和守家11代目)松平直克(なおかつ)が居城を川越から前橋へ移した際に、飛び地となった旧領地の統治のため
慶応3年(1867)に現・埼玉県東松山市に建設されたものです。
領地の規模は、6万2千石で、陣屋としては日本で最大級かつ最後の陣屋で幻の陣屋と言われています。
今も、新政府側となった鹿児島(薩摩藩)の人からは、
「徳川最後の悪あがき」と揶揄されつつ、一目置かれています。
というのも、800年の歴史を持ち、日本一の武家と称えられる薩摩藩の藩主島津家 初代忠久公の母の故郷が、この松山陣屋領地のメインである比企という土地だったからです。
現在は殆ど跡は残っていませんが、当資料館で面影を感じられます。
最後の将軍徳川慶喜の眠っている願いを感じてみませんか・・?

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季節の年中行事
松山陣屋資料館では、毎月、松山陣屋ゆかりのお軸と共に
顕彰を行なっております。
ブログに随時更新していく予定なので、是非ご覧下さい!
川越城と松山陣屋
前橋藩松山陣屋付藩士は、幕末の慶應3年(1867)までは、川越城に
約100年間、士官していました。
現在、川越城を観光すると、家老詰所に3体の人形と
床の間に11代藩主松平直克(なおかつ)の軸がかけられています。
軸には「家青山に在り、道自ずから尊し」と書かれており
藩主松平直克の想いを感じます。
3体の人形は左から、下川又左衛門元貞、小河原左宮(筆頭老中)、
白井元長で、戊辰戦争でその内の1人が、切腹しています。

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川越藩と富津陣屋
川越藩は、江戸中期より 江戸湾防備のメインを任されていました。
慶応3年(1867)には、幕府による異国船に対する房州沿岸警備の強化で、二本松藩 藩主丹羽氏より千葉県の富津陣屋も引き継ぎ、警備を任されました。
そこの地で、戊辰戦争中、悲劇は起こります。
前橋藩となった松平大和守家の重鎮が2人、自刃しました。
筆頭老中の小河原左宮と白井宣右衛門です。
まず、新政府に恭順の意を表した前橋藩は、旧幕臣(請西藩元藩主 林忠崇)から責を問われ、小河原左宮が自刃。
2ヶ月後、その後任 白井宣右衛門が、今度は新政府から恭順を疑われ、また責を負い自刃しました。
今も前橋の源英寺で、2人は眠っています。
松山陣屋の精神
松山陣屋には、川越藩藩 校博喩堂の分校がありました。それを受け継いだのが、現在の東松山市立 松山第一小学校です。
江戸中期 川越藩 松平大和守家8代斉典(なりつね)が博喩堂を開設し
教えを定め、そして川越版日本外史は飛ぶように売れ、各藩の教材として用いられました。
松山陣屋では、博喩堂の教えと日本外史、大日本史の精神を大切にしています。

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