今日は✨
気がつけは、すっかり梅雨になりました。
ムシムシした日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか・・?
さて、一昨日の6月12日、東京より数名、当資料館にいらして頂いたので
今日はそのことについて簡単に書きたいと思います!
私は12年前から、杉並区の浜田山で、「室礼」という年中行事(七夕や節分など)を習っているのですが、実は漸くお免状を取得出来たのが、ちょうど2年前の今日 6月12日でした。
奇しくも、前橋藩では、幕末の慶應4年、小河原左宮の後任、白井宣左衛門という人が自刃した日でもあります。
6月12日。
また、思い出せば、12年前、私が浜田山で室礼を初めて習ったのも「七夕」で、「お稽古12年」という言葉があるのですが、改めてその言葉の奥深さを感じます☆✨
12年経った6月12日、浜田山の室礼教室の先生や事務局の方々が遠くの東松山まで
起こし頂いたこと、私はとても励みになりました(*´∀`*)
偶然なのか、偶然でないのか…
なにかの導きなのでしょうか?
偶にそういう事あります☆✨笑
さて、当日は、川越藩の藩主 松平斉典の掛け軸を設え、川越百万灯夏祭りのきっかけとなった斉典公の遺徳を偲びました☆
そもそも、七夕などの五節句(正月、ひな祭り、端午、七夕、重陽の節句)は、江戸幕府が式日と定め、五節句を公武行事として行わせたため、武家から民間にも広まって行きました。
しかしながら、どうやら明治5、6年頃に新政府より、五節句廃止令が下されたため、伝統行事が現在、廃れて来てしまったようです。
明治から幾つか時代が過ぎ、令和となりました。
美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれてくることを祈って「令和」と名付けられました…
微力ながら、徳川方の末裔として、再び、五節句を蘇えらせて行きけたらと祈っております☆✨
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大きな龍の花瓶、初めて使いました✨天の川を思い起こされませんか・・?
紙はすべて小川の和紙!!!斉典公の頃に、東松山も和紙の町 小川町も川越藩領になりました☆彡
願い事は、一つだけ…♡
紙は上、神に通じます。天に届きますように✨
ちょっと突っ込みどころ満載ですが、川越の夏祭りをイメージしました!
百合を星に見立て、天の川をイメージしました
2階も七夕尽くし!!!天に近い2階は、キラキラ星尽くしです!
入口も笹の葉で、ささやかにお迎え☆✨
松平斉典像(孝顕寺蔵)
床飾りは何でしょうか?