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🍒川越藩 もう一つの幕末ストーリー🌸

更新日:2023年4月20日

今日は☔

今日は、雨に降られ、なかスイッチが入りにくい月曜日でしたが、皆様いかがお過ごしでしょうか・・?


今日午前中、テレビで、参議院予算委員会の光景を見ていたら、初めて元SPEEDの今井絵理子議員の答弁を聴きました✨✨

(実は中学生の時、SPEEDの大ファンでした(*´∀`*)同世代なのです✨)


障害をお持ちの方や、子育て中の女性のキャリアについての答弁が、とてもお上手で

岸田総理や他の議員さんの心を動かしている姿にとても感動しました!

(やっぱり絵理ちゃん、カリスマ性ある!!かっこいい〜✨)


さて、昨日は『着物は経糸と緯糸を織りなして作られる、日本人の精神の縮図』と書いたので、今日は着物…から連想して、幕末の松平大和守にまつわるお姫様について書きたいと思います✨✨


私の中で、松平大和守には3人、誇るべきお姫様がいますが、今日はそのうちの一人『松平慈貞院(じていいん)』について、簡単に書きたいと思います✨✨


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松平慈貞院は、天保10(1839)年に、肥前国鍋島藩の10代鍋島直正の長女として生まれ、はじめは貢姫(みつひめ)と称します。


7歳の時に、直正公の正室 盛姫により江戸に呼ばれ、そこで養育されました。


安政2(1855)年、17歳のとき、川越藩主松平直侯(なおよし:のちの将軍徳川慶喜の2歳下の弟でもある)と結婚。


しかし、その6年後に直侯が病没したため、その翌日に剃髪します。

以後、「慈貞院」と号しました。


慶応4(1868)年、江戸を発ち、佐賀城に戻り、継室筆姫らと過ごしました。

(松山陣屋が機能していた、戊辰戦争中でしょうか・・?また別の人生を辿る女性がいたのですね!驚きです✨✨)


その後、鍋島家の庇護のもと80歳の天寿を全うしたそうです✨✨

(数年前、佐賀で慈貞院没後100年の特別展が開催されたそうです

人それぞれの人生ですね✨✨特別展、見たかったな〜)

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(引用『結城松平家と家臣団』稲葉朝成著)





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