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🚢川越 姫様宛の手紙⑤⚓️

更新日:2023年5月12日

今晩は!!!!!

久しぶりになりました✨


心煌めくGWは終わり、日常が戻ってきました☆

しかし、引き続きガンガン愉しんで行きましょ〜〜〜ということで、


久しぶりですが、引き続き川越の姫様 慈貞院川越藩 10代直侯公の正室)宛に書かれた父 鍋島直正公(佐賀藩)の手紙を掲載したいと思います✨✨


前々回載せた 久里浜のペリー記念館でみた図と、我が資料館が管理している御手杵の槍と共にお届けしたいと思います✨✨✨


安政5(1859)年7月27日の手紙↓↓↓

(前回の手紙④から、ちょうど一年後。いよいよ安政の大獄><✨)


佐賀の名君、鍋島直正公の考え方も垣間見える貴重な一部です🍀


*****************

江戸の暑さはいかがですか。

佐賀は大変な暑さで困っています。


さて、江戸はロシアなど外国人が入ってきているとのことで、品川沖あたりは皆、外国船ばかりで、彼らは将軍への御目見えも願っているそうですが、これは大騒動で、江戸は近いうちに外国人ばかりになってしまうことでしょう。


恐ろしい事態です。


さて、第一に御見舞いを申し上げるべきことは、急なことだったそうですが、水戸老公(徳川斉昭)尾州(尾張藩 14代 徳川慶勝)が厳しいお咎めを受けられ、尾州については致し方なし(徳川斉昭・慶篤父子と共に江戸城へ不時登城し、大老井伊直弼に抗議した)とは言え、


水戸老公(徳川斉昭)へのお咎めについては、さぞ大和様(川越藩 10代直侯公父が水戸斉昭だから)(慈貞院の夫)も御心配されていることとお察しします。


誠に急なことだったそうですから、さぞかし驚かれていることでしょう。


越前(松平春嶽)も関係して、具合の悪いこととなり、これについては奥(松平春嶽の妹)も心配して驚いていることと思われます。

(いわゆる大老 井伊直弼らによる安政の大獄ですね><)


くれぐれも大和様(川越藩 10代直侯公)も御心配されていることとお察しします。

ついでの時に宜しくお伝え下さい。


さて、大和様よりお送り頂いた書簡を拝見しました。

また返書を差し上げますので宜しくお回し下さい。


老中らも色々と退役があったとのことで、なにより公方様(将軍徳川家定)御大病とのこと

詳しく教えて下さい。

(大河ドラマ『篤姫』観ていた方なら、リアルに感じられる幕末感!!!川越にもありましたね✨)


送ってくださった道明寺(和菓子)、頂戴しました。

お礼厚く申し上げます。

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(引用『愛娘への手紙ー貢姫宛て鍋島直正書簡集ー』公益財団法人 鍋島報效会 出版


この後、大和様(川越藩 10代直侯公)は将軍家定より長生き出来たのか、どの経緯で慈貞院川越藩 10代直侯公の正室)は実家、佐賀藩に戻る事になったのか気になりますね☆


引き続きお愉しみに・・・


(2015年頃に再現された、松平大和守家の馬印 御手杵おてきねの槍のレプリカです。

今年の9月以降は、当資料館に保管予定です☆一緒にパシャリ)

(先日、横須賀の久里浜にあるペリー記念館でみた ペリー再来航時の図です。よく見ると、御手杵の槍がちゃんと描かれていました↓↓↓)




(今回引用させて頂いた手紙の一部です。読めませんが、あった方が良いかと思い掲載致しました)

(引用『愛娘への手紙ー貢姫宛て鍋島直正書簡集ー』公益財団法人 鍋島報效会 出版


(お庭には、上り藤が見頃を迎えています!!!空へ突き抜けるばかりの気迫を感じさせる藤!!!)

(ピンクの上り藤も見頃・・・より過ぎた感じですね(^_^;))


(当資料館にある甲冑も上り藤が使われています!藤文様は、藤原氏の一門からきているのでしょうか。家それぞれの誇りと教えが 家紋になっていたりする所に、日本らしさを感じます…♡)



川越藩 10代直侯の肖像画は、なぜか子供の頃のしか見つからないです。最後の将軍慶喜が幼名 七郎麻呂で、直侯慶喜一つ下の弟に当たります。


川越藩 藩主松平家10代直侯(なおよし)の正室貢姫(慈貞院)32歳/明治3年の写真鍋島報效会所蔵)


佐賀藩10代藩主 鍋島直正✨再掲させて頂きます✨)





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2023年に開館してから、毎月第四土曜日を開館日として来ましたが、 夏は暑すぎ、文化芸術どころではないので、7月と8月は休館とすることに致しました。 次の開館日は9月23日(土曜日)を予定しています。 誠に勝手ではございますが、何卒宜しくお願いします。

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