top of page

③沈南蘋と徳川吉宗

更新日:2022年8月6日

③文化編 〜松平大和守家と吉宗〜


吉宗は忙しい幕政の傍ら、文化も愛しました。


私の先祖が仕えていた松平大和守家の4代松平明矩(あきのり 姫路城主)が重病になった時に、音楽による気分転換を勧めています。


吉宗自らも公務の余暇に「古画」の鑑賞や、それの模写に没頭することを慰みとし、『延喜式』に見える古代の染色法の研究に楽しみを求めて、鬱を散じていたそうです。


やっぱり、悩みが多かったのでしょうか。


2ヶ月前に生まれた私の姪っ子は、茜ちゃんというのですが、偶然にも吉宗のエピソードがあります。


吉宗は、万葉の茜色の再現にも挑戦したようですが、ついに再現できず、茜色は幻の色と言われています。


茜色にまだ未練があるのかなあと私は感じました。


また、吉宗は、室町時代から伝統的に武家に好まれた時代の中国画を愛好していました。


享保13年(1728年)には、各大名家に秘蔵されていた南宋時代の画僧牧谿(もっけい)筆の瀟湘八景(しょうしょうはっけいず)を借り集め鑑賞しています。



その後、沈南蘋しんなんぴんが来日し、その画風は後の近世絵画に大きな影響を与えました。


その沈南蘋の作品の貴重な一つを、イベント当日にご紹介させて頂きます!!


沈南蘋は、清朝からわざわざ来日し、絵を通じ、

私たちに何を伝えたかったのでしょうか・・・?


吉宗の文化を愛する気持ちが、今の私達に何だか繋がってきましたね!


感動を共有し、一緒に小江戸を味わえたら、嬉しいです🌟





        #瀟湘八景図 

       #京都国立博物館 HPより引用               


                                                                                

閲覧数:11回0件のコメント

最新記事

すべて表示

②沈南蘋と徳川吉宗

② 幕政編〜享保の改革〜 次に、江戸三大改革のひとつ享保の改革とは、どのようなものだったでしょうか。 吉宗は、将軍に就任すると、第6代将軍・徳川家宣の代からの側用人であった間部や新井を罷免し、水野忠之を老中に任命して財政再建を始めました。 政治の方針は「質素倹約!!」 江戸時代の税制の基本である米価の調節に努めたり、 司法制度を改革したり、 江戸町火消しを設置しての火事対策を図るなどなど・・ 目安

bottom of page